したいことリスト
アニメをたくさんみたい
漫画をたくさんよみたい
本をたくさんよみたい
ゲームがたくさんしたい
人をたくさん殺したい(殺したくない)
動物飼いたい
絵をたくさん描きたい
真中らぁらをたくさん作りたい
近所の100円ローソンとマイバスケットをたくさん破壊したい
たくさんおもちゃほしい
たくさん寝たい
たくさん死にたい
たくさん生きたい
たくさん笑いたい
破壊と創造をたくさん繰り返したい
なにもしないをたくさんしたい
親孝行をたくさんしたい
一通り、この辺りの「したい」を達成できれば楽になれるのかな~
最後のは純粋な「したい」より罪滅ぼし的な意味合いが深いから達成できれば相当楽になれると踏んでる。
でもでも、やっぱり破壊よりも創造がしたい!
単純だからかわいいおんなのこ描いてるだけでたくさん幸せだ
かわいいおんなのこはかわいいからだいすき。
女児アニメの女の子が女の子を好きになりがちなのは女の子がかわいいからなんだなぁと思う。
かわいい女の子を好きになるかわいい女の子のことが好きになる女の子もまたかわいく、そしてかわいい女の子が大好きなのだ。かわいいとかわいいがかわいい同士で好きになりあってる様子はこの世の真理だと思う。。
だから自分にできることはかわいい女の子をたくさん描く術を習得して真理に到達することだけなのだ。
かわいいおんなのこたくさんかきたいナ。
5月30日火曜日(晴れ?曇り?)
孤独について自分なりに考えをまとめようと思う。
まず、孤独とは自分だけが周囲の人間の繋がりから外れていることだと思う。根本的な孤独を解消するためには孤独という概念を無くすこと、つまり人類は皆、人と人の繋がりを一切持たず一人一人が孤立して生きればいいというわけだ。
でもそれだと人間は増えないし…
まあ(人類滅びてくれとも思うけど)やっぱり無理がある。
なので自分に残された道は二つ、孤独を受け入れて孤独に生きるか、孤独を断ち切り人と共に生きるか…
うーん………………………………………………
単純に私は人間関係を築くのが昔から苦手だったから色々拗らせた結果、「なんなら人付き合いしなくてもいいのでは…?」という結論に至ったタイプだ。実際は完全な孤独ではなく家族もいるし、少なくとも3人も友達がいる。(相手が友達だと思ってくれていたらだけど考えたくない)それにツイッターもやってる。
よくある話だと思う。
寂しい時は誰かがほしい。
何かに没頭したい時は人間なんていなくてもいい。となる。
これも多分人間ならみんなそうだと思う。
もう少し生きるのが上手かったら、というか人付き合いが上手かったら当たり前のように孤独を断ち切った気がする。
孤独な自分に安心感を感じている。
孤独を選ぶことで精神的に強くなれると錯覚してしまう。
本当に友人も、家族も、恋人もいない人間が強いと言えるのか…?
確かに失うものはないのでそれも一種の強みなのかもしれない。
けれど大切な人間がいてこそ人は本当の強さを発揮するのだと散々プリキュアで学んだ。
諦める強さと立ち向かう強さ、前向きなのは後者だ。
孤独は何も得られない。
失うことに慣れるだけだ。
そこまで考えて、やっぱりそれでもいいのかもしれないと思った。
人付き合いをせずに好きなことだけしていたい。お金さえあれば好きなことばかりできるし寂しさなんて忘れてしまうので人がいなくても生きていける気がする。
結論、油田がほしい。
5月28日日曜日(晴れ)
今日はガシャットの食玩が急に欲しくなってたくさんのスーパーやコンビニに行ったけど手に入らなくて残念だった。
運動会に行った
今日はいとこの小学校の運動会だった。
小学生はみんな可愛かった。
やっぱ小学生好きだなぁと感じた。
演目で妖怪体操あって割と驚いた。そういうのもやるんだと。
自分が小学生の頃は竹節やエイサーなど伝統的な踊りを踊ることが多かった。変なとこだけ記憶力が良いので未だに竹節は踊れる。
今は小学校の運動会に行っても小学生可愛いという感情でまだ幸せになることができる。
小学校ほど残酷な環境もないのではないかと思う。勉強も、体育も、学校で評価されるそのほとんどにおいて私は最下位だった。おまけに忘れ物や遅刻も多かった。変な行動を起こしたり学校を脱走したりして大騒ぎになったこともある。いわゆる問題児だった。しかも口数は少なく、大人から見ればなにを考えているのか分からない生徒だったと思う。
学童クラブの先生には「喋れない子なのかと思ってた。」と言われたこともある。
高校の頃、他クラスの女の子に喋れない障害をもった人間だと勘違いされたのか、筆談を持ちかけられたときはさすがにどうしようかと思った。(確か、思い切って声を出した気がする)
そんな自分でも、奇跡的に良い生徒ばかり集まったのか、六年間いじめというほどのいじめはなかった。いじめられるどころか、私が間違えて変な行動を取るとみんな笑ってくれた。今思うと、それが小学生時代の唯一の救いであり、自分の存在意義でもあったと思う。
変な行動をとっても人に迷惑をかけない限りは大抵は笑われておしまい。それが六年間で一番学んだことだ。だから何も気にしなくて良い、自分らしく生きれば良いのだと。
中学から今日まで、何かとすぐに自分がおかしいのではないかと自分を疑って周囲を必要以上に気にしてしまうことが多くなったと思う。周りから浮きたくない。いつも平均的でありたいという気持ちで物事を決めようとしてしまう。それでは良くないので自分の興味関心に基づいた行動をとることを心がけ始めた。なかなかうまくいかないことの方が多く、何が正解なのかもさっぱり分からないが、しばらくはそういう方針でやっていこうと思う。人生で何かがうまくいった試しなんてないし成功経験もないので生きるのに早く慣れたい。底辺は辛いが慣れたら楽なのだ。
底辺のどつぼにハマったという感じがする。
いや実際もっと酷い状況の人間はたくさんいるだろうと思うけど自分もずるずると引きずり込まれてあっという間になにも見えない暗い谷底に落ちてしまうんだ。底辺の素質を持つ人間が堕落するスピードは、最終回を迎えた後の深夜枠1クールアニメがオタク達から忘れられるスピードなんかよりもずっと速いのだ。うかうかしてられない。底辺なりに次の一手を常に考えなければいけない。原作権を持つアニメ会社が資金獲得のためパチスロに版権を売るみたいに…
なんでもやりたいことやっていきたい。
運動会のことを書こうかと思ったが話題がそれてしまった。まあいっか。
小学生は本当に可愛い。なんであんなに可愛いんだろうなぁ…
5月26日金曜日(曇り雨)
昨日は更新し忘れた。
昨日はゲームを買った。正確には、中野の中古ゲーム屋で安かったps2のゲームを気づいたら買っていた。ICOとfateとなんだっけ…ど忘れしちゃった。
あ、ffだ!確かX2のやつだ。
あれは名作Xの人気がでて、後付けのような形で制作されたゲームだから安いんだ。(適当)
fateはあまり興味はなかったけど300円だったからやってみてもいいだろうという気持ちになった。あまり関係ないけどプリヤ劇場版も公開されることだし。
ICOはなんだか綺麗な世界観で癒され…と思ったら案外モタモタしてると敵が襲ってきてハラハラする。操作性があまりよろしくない分戦闘するときめちゃくちゃストレス溜まる。
でもそれが癖になる。だいぶ戦い方も身についてきた。勝っても経験値が上がるわけでも武器を強くできるわけでもない。自分自身で戦い方を身につけて工夫しながら前に進んでいくだけのゲームだ。本当はいきなり敵がおそってきてその場で戦わなければいけない系のゲームは心臓によくないので苦手だから戦闘画面はドラクエのように「はい、いいえ」のコマンドで十分だ、という気もするが、自分自身で戦い少女を守る、というのがこのゲームの醍醐味なんだろう。守るべきものを持ったからには最後までこのゲームをやってやろうという気持ちになってきた。
『この手を離さない、僕の魂ごと離してしまう気がするから。』
なんだか守るべきものがあるっていいな。たとえゲームの中だけでも。プリキュアみたいだ。はやくプリキュアになりたい。
現実には守るべきものもなければ、地球規模の危機も早々無いだろう。現実世界で自分を苦しめるものは外からの脅威ではなく常に自分自身だ。いっそのこと何かが襲ってきてほしいという気持ちになる。でもそれは怖い。この前だって夢にシンゴジラが出てきたときは恐怖で為すすべもなかった。つまり夢の中でも自分は怪物を倒す勇者ではなく逃げ惑う一般市民の一人に過ぎなかった。本当に、なんだかなー、だよね。
自分はいったい何を待ち望んでいるんだろう。何を伝えたいのだろう。特別な力が欲しい。だれも使えないような力があれば…と思った。あったからといってきっと今の自分では持て余すだけなんだ。
現実を見たくない!って目を瞑っていても望むものが手に入る訳ではないんだ。いつも現実よりバーチャルのほうがずっと充実しているような気がしてしまう。心では色々なものに触れたり、作り出したり、とにかく無を有にすることを望んでいるはずなのに、実際は存在しない空間を眺めているだけで心が満たされてしまう。虚無感や行き場のない感情を抱える人間はきっと当てはまるだろう。
自分が何をしたいのか、誰に何を伝えたいのか、
うーーーーん…
……
……あ
………………………………………
それだ!!!!!!!
幸せの気持ち、すぐ忘れてしまう…
食べて寝ているだけでも十分幸せなことじゃないか……
ありがとう、真中らぁら。
ありがとう、プリパラ。